親の「あたりまえ」は子に受け継がれる
親があたりまえに思っていることに対する子どもの受容力は、想像以上に高い。「習い事重課金」の回でも触れたが、私の子どもたちは「ピアノの練習は毎日するもの」という私のあたりまえな態度を前に、ごく自然に毎日練習していた。
周りの友達が自転車通学や車での送迎をされていても、「駅までは歩くのがあたりまえ」という家庭の子はあたりまえに歩く。出先で美味しかった食べ物を家で作る親を見て育った子は、「料理は自分でも作れるもの」と思うし、なんなら自分で作るようになる。長期休みごとに旅行に行く家の子は「休みには旅行に行くもの」という認識になるし、母や姉が自分の意見をしっかりと主張して行動する家庭の子は「女性に高い提案力と実行力があること」を自然に理解する。本を読む家の子は本を読み、勉強する家の子は勉強することに抵抗がない。
もちろん、成長するにつれて幼い頃の環境とは違う考えを持ったり、行動したりすることも大いにある。ただ、見慣れた環境に馴染んだ行動をとる場合の心理的ハードルは圧倒的に低い。自我が形成される前後の小学生の時期なら、なおさらである。
「あたりまえ」は思い通りには作れない
だけどおそらく、親が「子どもにこうなって欲しいから」と、無理やり「あたりまえ」を演出しようとしてもうまくいかない。「あたりまえ」という感覚は、ちょっとした場面での動作や表情に現れるものであり、子どもはそうした空気感を無意識のうちに、とても敏感に読み取るからだ。
だから、「どうしても勉強させたい、それをあたりまえに思わせたい」からといって、無茶なルールを作っても意味がない。
「理不尽な強制」になるのは最悪
「平日でも6時間勉強するのが我が家のあたりまえ」というような、親のコントロール欲から生まれた極端なルールは、子どもにとっては「あたりまえ」ではなく、ただの「理不尽な強制」に映る。そうなると、子どもはその不自然さを察知し、受け入れるどころか強い拒絶反応を示すことさえある。
豊かな「あたりまえ」は、力づくのルールでがんじがらめにするものではない。親自身がその行為を心から納得したり気に入ったりして無理なくこなすことができてはじめて、軽やかで自然な日常となる。
「あたりまえ」になったら最強
そんなこんなで無理やり作ることは難しい「あたりまえ」だけど、努力する習慣なんかを「あたりまえ」にできたらこんなに強いことはないとも思う。嫌にならないように、ポジティブに、気持ちよく、余裕のある「あたりまえ」を作るために、親も一緒に何かを頑張ってみるのもいいかもしれません。

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